N's TOMICA〜ノリスのWEBトミカ展示ケース 

 

TOMICA LIMITED No.1-20

 

 

NO.1  SKYLINE 2000 GT-R (KPGC110)

2001/4発売

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1972年発売の4代目スカイラインです。

ハコスカと打って変わって面構成のデザインとなりダットサン240Kの名前で輸出もされました。

1973年にハードトップ2000GT-Rが発売されますが、排出ガス規制のため197台が生産され195台が

発売されたのみで打ち切りとなりました。

197台となった理由はS20用のキャブレターが197台分残っていたためといわれています。

そのためレースで暴れまわることも無く悲劇のGT-Rとも呼ばれています。

日産がロータリーエンジンを開発しこのモデルに載せようとしたという噂もあります。

ハコスカGT-Rは数あれどケンメリGT-Rはまさにレア物です^^

 

 

NO.2 MAZDA COSMO SPORT

2001/4発売

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1967年、マツダがまだ東洋工業株式会社の社名時代に製造した

世界初の量産ロータリーエンジン搭載の初代コスモスポーツです。

110馬力10A型ロータリーエンジン(491cc×2)が搭載、車重は940kgと軽量でした。

後にマイナーチェンジによりL10A型からからL10B型に変更、125馬力に引き上げられました。

全高は1165mmと非常に低く、そのデザインの斬新さと相まってまさに未来の車のようですね。

価格は148万円。現在の価格に換算すると、1000万円を超えます(^_^;)

72年の生産中止までに1176台が生産されました。

実車は思ったより小さめ。さらに車高が低いです。今見ても特徴的なデザイン。

当時の人の目にはこのエポックメイキングな車はどう映ったのでしょう。

このコスモはよく見かけます。オーナーが近隣におられるのでしょうね。羨ましいです。

 

 

No.4 SAVANNA RXー7

2001/5発売

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1978年3月、サバンナ(輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7、SA22C型 サバンナ RX-7として発売されました。

発売当初、エンジンは水冷2ローターエンジン12ANA(自然吸気)仕様を搭載していました。

REAPSと呼ばれる排ガスを再燃焼させるサーマルリアクター方式を採用し従来の40%の燃費アップを達成しています。

1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ12Aターボに変更されました。

 オイルショックに因る環境問題が叫ばれるなか2+2のスペシャリティカーとしての発売ですが

実際はピュアスポーツの実力を持っています。

1979年、RX-7は大排気量レーシングカーがひしめく中IMSAシリーズに初参戦を果たしました。

デビュー戦のデイトナ24hレースでGTUクラス優勝。総合5位という輝かしい実績を残しました。

 

小学生のとき、通学路にこのサバンナRX−7が止まっている家がありました。

もちろん車名などわからず、てっきり外車だと思っていました。

珍しかったんです。その当時、リトラのライトなんかまだそんなになかったし。スーパーカーだと思っていました。

ローマ字を習ってからですね、車名がわかったのは。そんな子供のころの思い出の車です。

 

 

No.5 SKYLINE 2000GT-B

2001/6発売

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このモデルのスカイラインは、1963年9月2代目スカイラインとして発売されたS50型系スカイラインです。
1500ccクラスの量販車市場を拡充するために、小型ファミリーセダンとして開発、発売されました。
1964年5月 第2回日本グランプリ勝利のために、ボディのフロント部を200mm延長し
圧縮比と回転数を上げたG7型直列6気筒OHC1988ccエンジンを搭載したSKYLINE 2000GTを開発。
レース自体には敗れ去ったものの100台限定のSKYLINE GTに注文が殺到し
1965年2月、ウェーバー製のキャブを3連装し、125馬力をたたき出す
レースモデル仕様のS54B-II型スカイライン2000GTとして発売されたモデルです。
66年10月のマイナーチェンジで、車名をニッサンプリンススカイライン2000GT-Bに変更。
スカイライン神話の伝説はこのモデルから始まったものです。スポーツセダンとしてのスカイラインの誕生です。
このトミカは初のリミテッド専用金型として発売されたモデルです。
後にギフトセットなどのトミカも発売されました。

 

 

 No.6  HONDA S800  

2001/6発売

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 世界一のオートバイメーカとなったホンダが1963年にS500、1964年にS600を発売そして、

1965年に発売したS800です。

ボンネットのバルジの下には4連キャブレターが搭載されています。

DOHC、4連キャブレター。4本のエキゾーストマニホールド。 組立式のクラ ンクシャフト、ニードルローラーベアリング。

時計のように精密とたとえられる高回転高出力のエンジンは排気量は791cc、最高出力は70PS/8,000rpm、

最大トルクは6.7kg・m/6,000rpm、0 - 400m加速は16.9秒、最高速度は160km/hとされています。

国内だけでなく、ヨーロッパでも評判が高かったモデルです。こうしてホンダの名前は世界に広がっていきました。

ボディータイプもオープンとクーペの2種類がありました。クーペが在ったとは知りませんでしたね^^

ホンダ創業者、本田宗一郎氏はこのS800製作にあたり最後までクレイモデルに手を入れていたそうです。

パフォーマンスのみならずそのデザインも美しいですね。

通称、エスハチ。ライバルはトヨタ・スポーツ800、こちらはヨタハチですね。

トミカ自体の販売期間は3年余りと長くはありませんがギフトセットや特注品など

復刻され人気の1台です。実車同様綺麗なモデルですね。

 

 

No.8 SOARER 2800GT

2001/8発売

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 1981年2月発売。Z10系初代ソアラです。「未体験ゾーンへ。」「SUPER GRAN TURISMO」のキャッチコピー。

200Kmでの巡航性能、空力に優れたボディーと2800cc直6DOHCの強力なエンジン。

そのパワーを受け止めて余りある高性能シャシーを持った高級、超高性能GTのさきがけとなったモデルです。

「インパネから針が消えた」のキャッチコピーどうりスピード、タコメーター、燃料計、水温計など計器は全てデジタル表示。マイコン制御のフェザータッチ・オートエアコンなど、先進のエレクトロニクス満載でした。

1985年のマイナーチェンジではさらに3Lエンジンを搭載されました。

大学生のとき友人が中古でこのソアラを購入しました。なかなかハイソでいい車でしたよ。

しかし2年目ぐらいに自慢のフェザータッチ・オートエアコンのコントロールパネルが逝かれてしまい、交換の憂き目に…

その修理費が学生の身分には高額すぎで、しばらくエアコンなしで過ごした記憶があります。

分相応の車に乗りましょうということですかね〜

 

 

 

No.9 CELICA XX 2800GT

2001/9発売

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  1981年7月発売のトヨタセリカXXです。

初代がラグジュアリー志向の高級スペシャルティカーという位置づけだったのに対し

カタログでも走行性能の高さをアピールしていて、2代目はスポーティーなモデルとして登場しました。

直線を基調としたシャープな造形のボディーと空力を意識したリトラクタブルヘッドライトが特徴です。

トヨタ・セリカXXはセリカの上級車種として開発され、スポーツカーというよりも、ツーリングカーの色合いが濃いモデルです

主に北米市場をターゲットに開発されました。トヨタが誇る6気筒D0HC2800ccの5M−G型エンジン搭載。

170馬力と24.0kgmの最大トルクは、当時、国内最強のスペックでした。

1986年製造終了。後継車はスープラです。なるほど、初代スープラはセリカXXのイメージが残っていますね^^

セリカXXは海外にも輸出されていてスープラの名前で販売されていました。

アメリカでは「XX」が映画の成人指定意味するためで、「セリカXX」は日本国内専用の車名でした。

 

 

No.10 CELICA 1600GT

2001/10発売

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2ドアハードトップモデルはリアの丸みを帯びたデザインから、「ダルマ・セリカ」と呼ばれています。

1970年12月発売の日本初のスペシャルティーカー初代セリカです。

このモデルは1600GTトヨタの名機2T-G型DOHCエンジンを積んだ最上級モデルです。

初代セリカは好みのエンジン、変速機、内装を自由に選べる「フルチョイスシステム」仕様を設定していました。

ハイエンドモデルの1600GT以外の特定のグレードはありませんでした。

3種のエンジン、3種のギアボックス、3種の外装、8種の内装を組み合わせ好みのモデルを作ることが出来ました。

1973年4月にはテールゲートを備えた3ドアリフトバックが登場しました。さらに2000ccエンジンを追加。

これにより、2タイプ7種の外装、2タイプ15種の内装、9種のエンジン6種のギアボックスの組み合わせが可能になり

カラーやオプションを合わせると膨大なカスタムセリカを作ることが出来ました。

エアロや簡単なオプション設定で「カスタム」という名前を付けるメーカーはこのモデルを見て一考。

注文を受けてからラインに載せればいいのですから、今でもやってみたらどうですかね。売れると思いますよ。

保守的なデザインのトヨタですが、セリカでは新機軸のデザインを採用しています。

空力的にもすぐれたスタイルは発売直前のモーターショーでも人気を呼んでいました。

比較的手頃な価格、斬新なスタイル、高い走行性能とあいまって幅広く高い評価を得たモデルです。

 

 

 

No.11 BLUEBIRD 1600SSS COUPE

2001/11発売

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 1967年発売の3代目 510型ブルーバードです。2ドアクーペモデルは」1968年に追加。

 このモデルは1600ccのL16型を積んだスポーツモデルのSSSです。SSSは「スーパー・スポーツ・セダン」の意味です^^

スピードというテーマに沿って直線基調の、「スーパーソニックライン」と名づけられたデザインを持っています。

東名、名神高速道路の開通で高速時代を先取り、空気抵抗を低減、前方視界を向上を狙ってのデザインでした。

この510型のデザインはブルーバードのデザインの完成形とされ、デザインが不評のモデルの後は

必ず510型のデザインに回帰するという呪縛となりました。しかし、実車のデザインは箱型でかっこいいと思いますよ。

1970年代に流行したレザートップは黒のつや消し塗装で再現されています。

新開発のL型・SOHCエンジンと日産初の四輪独立懸架によりバランスの取れた走行性能と乗り心地を実現しています。

この510型は国際ラリーにも積極的に参加。

69年のサファリ・ラリーではクラス優勝とメーカーチーム優勝、70年には総合優勝と2位、4位という勝利をおさました。

サファリラリーで総合優勝により「ラリーの日産」と呼ばれるようになったモデルです。

私は団塊ジュニア世代ですがブルーバードといえばどうもオッサン車のイメージがあります。(オーナーの方すみません)

これが父親の団塊世代にとってはSSSはどうやらGT-Rのような記号性を持っているらしいですね。

ブルーバード〜実は狼の家系だったのですね。

 

1970年に発売されたトミカ第1号No.1−1です。トミカの歴史において意味のあるなモデルなんです。

30年前の金型とは思えない確りした造りに驚きます。

 

 

No.12 SILVIA 2000 ZSEーX

2001/12発売

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1979年3月発売の3代目のS110型シルビアです。
白い稲妻ーシルビアというコピーどうりシャープな直線基調のデザインが綺麗です。
2000 ZSEーXはシルビアの中でも最上級モデル。
電子制御装置満載、室内イルミネーションの採用でスポーツカーというだけでなく、デートカーとしても人気のモデルでした
ただし、プラットホームが310型サニーベースということで、やや前後のオーバーハングが長いのが難点とされていました。
乗り味はソフトで乗用車風とも言われていましたが、ハードな走行もこなせる運動能力を持っていました。
1982年のマイナーチェンジでスカイラインRS用に開発されたDOHCエンジン搭載の2000RSを追加。
S110型シルビアをベースにWRCのグループB・ホモロゲーションモデルとして、
2400ccのFJ24型エンジンを搭載した日産・240RSが登場。
1982年サファリラリー、グループ4仕様車が総合3位を獲得。
シルビアの姉妹車でガゼールというモデルもありました。
ガゼールは日産モーター店からはシルビアはサニー店からの発売でした。
「西部警察」で石原裕次郎が乗っていたS110型のオープンカーがガゼールでした。

 

 

No.13 NISSAN SKYLINE GTーR (R32)

2002/1発売

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1989年16年ぶりに復活したR32スカイラインGT−Rです。

日本国内のみならず海外の自動車レースを圧勝。ポテンシャルはフェラーリを上回ると言われました。

R32、R33、R34、GT-RといえばこのR32だと思いますよ。この存在感、たまりません。

まさに、R34まで続く第二世代GT-Rの原型となったモデルです。

 2568ccの直列6気筒4バルブDOHCRB26DETT型エンジンに2基のセラミックス製ツインターボ

グループAのレギュレーションにより排気量×ターボ係数1.7=4500cc未満の規定から

2568ccという中途半端な排気量が設定されています。

高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システムアテーサE-TSを搭載

グループA制覇のため生み出されたGT−Rですが、あまりの強さゆえワンメイクレース状態となり

グループAのカテゴリー自体が中止になってしまいました。

スカイラインといえばどうしてもGT-Rですが、セダンモデルのGTS-tタイプMでさえ215馬力。

これは7代目スカイライングループAのホモロゲーションモデルGTS-Rを上回るスペックです。

R31型まで存在したステーションワゴンモデル、ディーゼルエンジンモデルも廃止されました。

いかに走りを追求したモデルかがわかりますね。

私の友人が中古で購入し、いろいろいじり回しております。

さすがにここ十数年のモデルだけに錆は怖くないそうですが、油圧や電気モノのトラブルが

もぐら叩きのように出てくるそうです。

タービンは消耗品!!と豪語しているのを見ると結構、楽しんでやっているようです。

 

 

 

No.14 ISUZU 117COUPE 1800XE

2002/2発売

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柔らかな曲線と流麗なスタイルを持つデザインはスレンダーな女性的イメージ。

しかし、そのフロントグリルに唐獅子のエンブレムが輝いています。実は獅子をイメージしたデザインだそうです。

1968年12月発売。117という車名の由来は開発コード番号です。

ジョルジェット・ジウジアーロの原型デザインは曲面を多用し、外板をプレス機械で再現することは難しく

初期モデルはハンドメイドのたたき出しで生産されました。そのスタイルは海外でも絶賛されました。

内装も豪華。ウッドステアリングに、台湾楠のメーターパネル。木目も多用されていました。

そのため、販売価格は当時としては破格の172万円となり、月産台数も30〜50台程度と

その希少性が117クーペの名声をさらに引き上げることになりました。

クーペとしては珍しく後席の快適性も考慮されており、シートの左右に灰皿、ヒーターダクトも装備されていました。

日本で初めて電子制御燃料噴射装置を搭載するなど、先進の技術も取り入れられました。

1981年に後継車としてピアッツァが登場したことで、生産終了となりましたが、

いすゞのフラグシップを務め、発売開始以来10年間1台も廃車が出なかった業界記録を持っています。

今なお人気は根強く、多くの愛好家によって保有維持されています。

ちなみに私の義父が若い頃乗っていたそうです。羨ましいですね^^

 

 

NO.15 トヨダ・AA型乗用車

2002/3発売

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1933年ダットサンの生産を開始した自動車製造株式会社(日産自動車)につづいて

1936年4月より市販を開始され、1943年までに1,404台が製造されたトヨダ・AA型乗用車です。

豊田自動織機創業者の豊田佐吉氏の息子、豊田喜一郎氏が率いる豊田自動織機製作所自動車部が完成させ、

発売したため「トヨタ」でなく「トヨダ」と名乗っています。

その後「トヨタ」を正式社名とし、1937年1月に新会社「トヨタ自動車工業株式会社」として分離独立。

生産終了までの7年間は「トヨタ・AA型乗用車」として販売されました。

価格は当時のお金で3,350円^^日本に合った大衆乗用車をつくるという気持ちがこめられていますが、

当時の一般人の所得に比べ非常に高価だったそうです。

エンジンは65馬力「A型」直列6気筒OHV3389ccで、GM社の1933年型シボレー用6気筒をコピーした物です。

当時のアメリカ車に匹敵する5人乗りで主にタクシー、ハイヤー、軍用などに使用されました。

元々製造台数が少なく、戦争による喪失や戦中戦後の酷使により、現存するAA型乗用車は無く

1987年にトヨタが当時の図面を元に製作しトヨタ博物館に展示されています。

イベント時には構内を運転されることもあるそうです。

1996年に同じくトヨダAA型をモチーフにした「トヨタ・クラシック」が100台限定発売されました。

これは実際に街中で見たことがあります。結構目立ちました^^こちらのお値段は800万円だそうです。

今日、世界一の品質を誇る日本車ですがその黎明期を語る1台ですね。

トミカとしても2台目となる専用金型です。このモデルドアの開閉が可能でドアのチリが小さい所なんかすごいです^^

   

 

No.16 SUBARU 360

2002/4発売

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「てんとうむし」のニックネームで親しまれた、スバル360は軽自動車初の4人乗車車として1958年に発売され、

当時の通商産業省が企画した、「国民車構想」を凌ぐコンポーネントと当時の水準を超える走行性能を持ったモデルです。

安く実用的で、日本最初の国民車、大衆車としてマイカーという言葉を誕生させたクルマです。

航空機技術を応用した超軽量構造を持ち、フレームを持たないフル・モノコック構造で限られたスペースに必要な居住性を

確保するなど全長3m 全幅1.3mのボディーに斬新なアイデアが盛り込まれています。

何しろ、スバルの前身「中島飛行機」は零戦のエンジンや一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」、

海軍艦上偵察機「彩雲」などの戦闘機メーカー。軽量、高性能な車のメーカーであるのも頷けます。

 1968年にはスポーツモデルとして36馬力EK32型エンジンを搭載したヤングSSを発売。

実用性と高性能であることから軽自動車の定番として、1958年から1970年まで約39万2,000台が生産されました。

車両重量 385kg 、空冷2スト360ccといったバイクの世界のようなエンジン、

コンパクトな車体で、ちゃんと4人+手荷物が積めて、ちゃんと走る。こういった技術というのはすごいと思うのですよ。

今ある車をすべてこのサイズに戻したら、渋滞問題も環境問題も一発で解決できませんかね。

 

 

No.17 MAZDA RXー7 (FD3S)

2002/5発売

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 3代目FD3S型RX−7です。FDと呼ばれているモデルです。

マツダ787Bがル・マン24時間耐久レースで総合優勝を成し遂げた1991年12月発売。

654cc×2の13B-REW型ロータリーエンジン搭載。

発売当初、 馬力、トルクとも日産スカイラインGT-R、トヨタスープラ、三菱GTOなどのライバルに比べやや劣っていましたが

「ピュア・スポーツ」をコンセプトに改良が続けられ、11年のモデルサイクルの中、マイナーチェンジも多く行われ、

車体の軽量化、エンジンの高出力化されていきました。

軽い車体、何しろモーターの様に回るエンジン、固められた足回りはまさにスパルタン。

いかにもスポーツカーというボディーラインは美しいですね〜。

私の友人がFC3S型に乗っていましたが、これほど面白いエンジンは無かったです。

高回転で回してもレシプロエンジンのような嫌な感じを受けませでした。

どこまでまわんねん〜って感じでした。究極の内燃機関です。

スポーツカーの需要の低下、環境対策の行き詰まりなどの理由で惜しまれつつ2002年8月に生産終了となりました。

RX-8はRX-7の後継車としてではなく、新規車種とされているため、このFD3Sが最後のRX-7になります。

 

 

No.18 DAIHATSU MIDGET

2002/6発売

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このミゼットは1959年10月に発売されたMP型ミゼットです。まさしく、働く車です。

初期型の1957年8月発売DK型ミゼットはバーハンドルで250cc。

キャビンは屋根と後ろが幌でありドアも付いいないシンプルな物でした。

MP型ミゼットはアメリカ輸出をみこし、バーハンドルから丸ハンドルへと変更され、

キャビンも一体化され2人乗りとなり、DK型と比べてスタイリッシュになりました。

実際、トライモビールという名前でアメリカにも輸出されていました。

タイではサムロタクシーとして有名で、生産台数の半分は東南アジアに輸出されました。

 車体寸法は全長2970mm、全幅1295mm、全高1455mm。

12馬力305ccZD型エンジン搭載。

1972年に生産が中止されるまで336534台が生産されました。

ミゼットの名前の由来は小型、チビの意味です。

1996年4月には軽4輪貨物のミゼットIIが発売されました。このミゼットUは売れるのを期待したのではなく

デザインから手作業生産にいたる一連のクルマ作り体験させる若手育成を目的に行われたものだそうです。

 

 

No.19 HONDA NSX

2002/7発売

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 ホンダの新しいスポーツカー、「ニュー」「スポーツ」と未知数を表す「X」を合成させたNewSportsX・・・NSXです。 

「世界に通用するHONDAの顔を持ちたい」との願いから開発されたモデルで

1990年から2005年までの15年間にわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造及び販売がなされました。

エンジンを運転席後方に搭載し後輪を駆動するミッドシップエンジンリアドライブ。

世界初のオールアルミニウム製ボディーを採用。

NSXの生産は無人ロボットを使った流れ作業では無く、ほとんどを手作業で行っていました。

このようなことから、日本車で唯一のスーパーカーとも評されていました。

 NSXはバブル期に登場したため多数のオーダーを抱え、納車に時間がかかり

プレミア付きで中古車店や専門店で販売されていました。

投資目的で購入する人もいたほどです。バブル後は乗りたい人が買う本来の姿に戻りました。

 欧州向けは2005年9月、北米向け日本国内は同年12月をもって生産終了となりました。

 

 

No.20 FAIRLADY Z

2002/8発売

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2002年7月発売の5代目Z33型フェアレディZです。エンジンはVQ35DE型自然吸気のみ。

歴代フェアレディZに設定されていた2by2は廃止され2シーターモデルのみの設定です。 

2年の沈黙を破り、これまでのZとはイメージチェンジされましたがZを継承したスタイルは健在です。

車の内容に比べ価格は抑え目であることから、世界中で注目を浴びました。

当時の日産車としては久しぶりの新型スポーツカー。日産の新時代を予感させたモデルでした。

フェアレディは洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれています。

この名前は国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」という名前が付いています。

近所に、ハッピーリタイヤされたご夫婦が居りまして、このZでよく出かけられます。

ちょっとカッコいいですね^^

いつか、リタイヤしたら、そんなのもいいですね〜

 

 

 

 

 

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